前回の続きです。

私たちは今、お金を始め、

あらゆる点でがんじがらめの世界に生きていると思います。

消費が当たり前、

家を買うのは当たり前、

競争社会が当たり前、

偏差値重視が当たり前

(偏差値は高度経済成長期に、

ロボットのように正確な技術、管理を

可能にするために作られたものです。

今の時代にはもうそぐわないと言えます)、

有識者の言うことは当たり前、

とりわけデータがあるとぐらっとくるものです

(有識者もいろんな立場の人がいます。

反対の立場の人もいるわけです。

データは、提示する側の意図に合わせたものが

取り上げられているのです。

逆のデータも、見方によってはあるはずなのです)。

 

そういう世間(身近な他者からも有)の善悪の判断は、

いつの間にか自分の中に深く入り込み、

価値観を拘束し、

1人でいる時でさえその価値観が自分を裁き、

人をも裁き、

だんだん息苦しくなっていくのです。

 

だけど、

正論や理想論は、いつでも誰にでも、

絶対当てはまるものではありません

(FAP心理学参照)。

一人一人、我が子でさえ、

興味も、性格も、体格も、家庭環境も、感じ方も全部違う。

みんな違うのが前提なんだから、

その人にとっての真実は違う。

こうあるべきという価値観は一度疑ってみたらよい。

命に関わること以外

「これが絶対正しい」なんてことは、本来ないもの。

もっと、その人のあるがままの思い、感情、興味を

大事にしたらいいと思う

正論は、思い込ませておくと便利だから、

誰かが生み出したものかもしれません。

大人も子どもも、

「できない」「ムリ」「どうせ」なんて言う前に、

本当かな?

本当は私、何がしたいのかな?

心に問いかけてみたらいい。

 

世間一般の価値観や善悪で人や自分を裁かないことは、

これからの時代に必要な、

もう一つの大きな価値観だと思います。