先日、兵庫県の生野銀山というところに行きました。

1200年前から銀を掘っていた山です。

信長や秀吉も掘らせているし、

昭和47年まで掘っていたから、

つい最近まで掘っていたことになります。

 

どうせ穴の中に入るだけだなんて思っていたら、

大間違いだったのです。

固い岩を、のみ一本で掘った、ぎりぎり通れる通路。

それが、暗闇の中縦横無尽にあります。

比較的広い通路は落盤を防ぐため、木材などで支えてあります。

空気も悪かったようで、うちわで(!)あおいで、

湿度や換気を調整していたらしい。

地下何層にもわたって、

堀り進み、地下水を汲みだし、換気し、石を運ぶのです。

事故になったら大事態なので、

空気穴や通路を設計する人もいたらしい。

今のような機械もない時代に、

よくもまあこれだけ根気と工夫で掘ってきたものだと驚きました。

 

外には、お参りするところがあって、

無事故を祈願したそうです。

本当に祈りだっただろうと思います。

 

教科書だったら「秀吉は銀山を管轄し云々」、

へーそうなんだ、で素通りしたものですが、

実際に穴に入って見ると、労働者の苦労たるや、

並大抵ではなかったとその迫力に驚いたのです。

 

そして、事故につながるこれらの仕事は、

相手への信頼がないとできないとありました。

今だったら、

責任を人任せにしたり、

聞いてなかったと言って見たり、

この分についてはお金もらってないからと

言ったりすることでしょう。

そんな、割り切った仕事じゃなくて、

全身全霊で仕事をしてきたから、

これだけの仕事ができたのだと思います。

昔の人だから、機械もないし遅れているなんかじゃなくて、

きっと今にはない心持ちというのがあったのでしょう。

今学校に対して完全に不信に陥っています。

そんなこともあり、

余計に銀山を拓いた人たちに感動を覚えました。

 

ちなみに写真は、玄武洞というところです。

自然の技と、その年月に思いを馳せたことでした。