今回から、なぜ私が教室を開いているか、なぜ「成長」を大事にしているかということを、話してみます。

恥ずかしい過去の話も、暗い話もありますが、興味ある方は、読んでいただけたらと思います。

 

私は、一般的なサラリーマンの家庭に、長女として、生まれました。

両親(特に母)は、元気に振る舞っていましたが、強いトラウマがあり、抱えきれない辛さを愚痴という形で、私たち子どもに吐き出していました。

幼稚園の頃の私は、わけがわからないながらも、泣いている母にタオルを手渡した記憶があります。

そして、大好きな母を、私が支えようと強く思った。頼るところがない母を、私が力になってあげたいと思ったのです。

私は、母の愚痴を聴いて、自分なりに感想や意見も言っていました。頼りにされていたと思います。

でも、その反面、自分自身の希望は言えなかった。

母に、わがままだと言われるから。

私の希望が、母の希望とは反するから。

お金がかかるから(いつも、お金がないと言われていた)。

例えば、服を買ってほしいと言ったことは一回もなかった。ほしいと思ったこともない。むしろ、そのことを自慢に思っていたくらいでした。

ピアノは習わせてもらっていたのですが、服は、すごい安いバーゲンの服を3枚だけ持っていて、着まわしていました。

小学6年生の頃、ピアノの先生に(おしゃれで、いつもいい匂いがして、憧れていました)、300円のジャンパースカートを自慢したら、

「安いものもいいけれど、高くても大事に長く着るというのも、いいものよ」

と優しく言われ、家の価値観を揺さぶられたようで、ショックでした。

そのショックは、自我が芽生え始めた私と、母との対立が始まる幕開けだったのです(長くなるので続きます)。