最近、脳科学のテーマは、

個人(としての認識)は、

人間の関係の中から生まれるということで、

個人より、関係性のつながりに、

移りつつあるそうです。

哲学者の中にも

そういうことを書いている人もいるそうです。

理性より感性の時代だというのですね。

 

音楽は、理性より感性です。

練習を重ね、理論も勉強する。

しかし、

表現する際、一番大事なことは、「考えない。感じること」です。

ピアニストのみならず、

バレエダンサーも同じことを言います。

なぜかというと、

考えてたら、体の反応が間に合わないから。

考えたら止まってしまう。

いい演技ができている時、

きっとパフォーマーは何も考えてないはずです。

 

一般生活でも考えてみましょう。

商品を見て、直感で買いたいと思う。

住まいを決めるのに、何か嫌だと思う。

けれでも、言葉にしないと不安なので、

理由は後から言葉で探すんです。

つまり、直感とか感性が先にあって、

理屈(理性)は後なんです。

 

それをですね、

もしも選択しなかったほうに、

「みんなが買っている」

「何万人が絶賛」

「エコ」

「トータルで見てお得」

などと言われると判断がぐらついてきませんか?

「みんな」「安い」「エコなど社会的に良しとされている言葉」で、

揺すぶりをかけるんですね。

 

まあ買い物くらいなら、

ぐらついてもいいと思うのですが、

「こうあるべき」「こうするべき」と言う

無言のメッセージが、

特にメディアには、随所にある気がするんです。

それが、表立って反論できないような、正当な論なのですね。

しかし本来、正論と言うのは、例外も認めるものなのです。

しかし、それを認めないような空気が多分にある。

違うこと言ったら、

仲間はずれになるんじゃないか。

理不尽な目にあいはしないか。

自分がおかしいんじゃないか。

皆さんもそう思ったことが、

きっとあるのではないでしょうか?

でも、本当は、Aが正しいのなら、Bも正しいかもしれない。

そもそも、

正しいかどうかさえ、重要じゃないかもしれない。

私はそれを、心理学の先生から学びました。

 

世間や自分の価値観で、息苦しく感じることがあったら、

もしかしたら、それはそうじゃないかも?

「こうあるべき」と違ったっていいんだ。

今の自分はこう思う。

外の価値観と自分の感性とを切り離してみると

いいかもしれません。