音楽はとても自由。

感じ方もいろいろあっていいし、その分表現も多くの幅がある。

この、いろいろあっていいというところに、

すごく助けられると思うのです。

私もそうだし、

教えていても、感じ方を引き出していくと、

大人も子どもも、すごく生き生きした表情になる。

もちろん音も変わります。

その人の意志を持った音。その人じゃないと出せない音。

 

世の中には、

「こうあるべき、

こうするべき、

そうできない自分(あなた)は、おかしいんじゃないか?

これができないと何かのためにならない。

だから、そうしないと悪い人ってことだよ」

みたいなメッセージが、

たくさんあふれています。

 

例えば、成功=お金の図式があります。

でも、自分の幸福感を無視して、その図式に乗っかっても

決して幸福感は得られません。

「シーモアさんと、大人のための人生入門」という映画の中で、

富も成功も手に入れたはずのイーサン・ホーク監督の表情は、

驚くほど、苦しみに満ちていました。

また、名声を得た俳優たちほど苦しんでいる、と。

 

他にも

人と同じだと安心、

人と違うと居心地の悪さを感じるということもあります。

だから、

広告など「みんなに売れている」と購買欲をあおったり、

正論じゃないものに対して、ネット炎上などもあります。

 

でも、感じ方に決まりはないんだ。

正論じゃない選択肢があってもいいじゃない。

正論を選ばない意志があってもいいじゃない。

 

正論が必ずしも悪いわけではないけど、

すべてじゃない。

なのに唯一の価値観として刷り込まれると、

いつの間にか自分の感覚が信じられなくなることが問題。

本当の希望を押し込んでしまう。

自己評価の低さにもつながってしまいます。

感じることに正解も間違いもないはずなのに、

正論(正論を言う人)に善悪をつけられてしまう。

つまり、自身の感覚を支配されてしまう。

正論がゆえに反論しにくいし、

自覚がないまま自分の感覚を否定してしまうからこわいんです。

(これは、FAPという心理学の、

大嶋信頼さんの著書や、

三木一太郎さんのブログで詳しく説明されています)。

 

長年わけの分からないイライラ感、自己否定感に

さいなまれてきて、ようやく答えが見つかりつつあります。

自分を責める声は、正論を入れてきた人の意見であって、

本当に私に問題があるわけではないかもしれない

自分の感覚をもっと信じていい。

同じように人の感じ方も大事。

 

正論で裁かなくても、

基準を人と同じにせずとも、

その人ならではの元気や力が出るところはどこだろう

私もそれに近づきたいし、

音楽の力を借りて、人が本来の自分に近づくお手伝いができたらと思います。